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新大久保のコリアンタウンの地図(PDFダウンロードあり)と「韓流の聖地となるまでの歴史」

新大久保駅周辺は、現在、「コリアンタウン」と呼ばれています。

そして、韓流の聖地ともいわれています。

しかし、いったいいつからココは韓流の聖地だったのでしょうか?

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新大久保駅周辺の昔の姿

大久保駅周辺は、かつては家族や財界の一族が暮らしている「高級住宅街」でした。

しかし、昭和の「東京大空襲」で、焼きつくされました。

そして、その後、新大久保は、焼け野原となった更地から、再度、復興へ向けて再スタートをして、大きく変化遂げます。

コリアンタウンの歴史

実は、この新大久保・コリアンタウンの歴史は、ある会社の創業から復興がはじまりました。

その会社というのも、すでのあなたもご存知の超有名企業です。

そう、ガムの会社でお馴染みのなんと!あの「ロッテ」の創業から始まっていくのです。

ロッテと新大久保と韓国との強いつながり

ロッテの創業者は、「重光武雄さん」といいます。

この「重光武雄さん」は「在日一世」でもあります。

そして、引退して「名誉会長」となった現在でも、日本国籍ではなく、「韓国籍」のままだといいます。

といいますのも、重光武雄さんの本名は、「辛 格浩(シン・キョクホ」といいます。

重光さんは、18歳まで韓国に住んでいましたが、第二次世界大戦の時に、日本が韓国へ進行して、「満州国」を設立し、そのおりに、日本へ連れて来られたといいます。

日本へ渡った、重光さんは、日本の敗戦後にみた、アメリカの軍隊の口で噛んでいるガムをみて、現在のロッテの事業の母体となった「チューイングガム」の製造にとりかかり、これが現・ロッテの創業のキッカケになったといわれています。

そして、その後、1948年(昭和23年) に「株式会社ロッテ」を新大久保に設立します。

当時は、ここ新大久保に本社機能と、工場が一緒になって稼働させていました。

やがて、日本でチューイングガムが大流行します。

そして、1966年(昭和41年)頃 – 韓国でも、ロッテ製菓を設立するに至ります。

この韓国にあるロッテは韓国企業の代表とも言える企業グループで、お菓子だけでなくホテルやデパートも手がけています。

その後、さらに、業績がうなぎ上りに上がり、常に人が不足するほどの状態だったといいます。

そして、やむ無く、海の向こうにある、韓国の支社から人員を充填することとなりました。

その後、韓国のロッテの支社から、日本のロッテの本社へ、大勢の従業員が渡ってきました。

渡って来たということは、スグに韓国へ帰るワケではないので、当然、住むところが必要になります。

そこで、ロッテの本社は、工場の近くのココ新大久保で、社宅を用意しました。

この影響で、大勢のロッテの韓国籍の社員が、ロッテの本社近くの新大久保で暮らすようになりました。

一歩コリアンタウンに入れば、まるで韓国

今では一歩コリアンタウンに入れば、まるで韓国にいるような気分になります。

韓国料理のお店あり、韓国食材のお店あり。

大久保の名物にもなった韓国の焼き菓子「ホットク」も露店で売られています。

韓流アイドルのファンが訪れるアイドルグッズ店も今では数多く存在します。

また、韓国の化粧品店、またはカフェも今では増えています。

日本なのに、日本語よりも韓国語が飛び交っているコリアンタウン。

韓国に旅行に行くには時間がかかりますが、ここならお手軽に韓国に来た気分を味わえます。

コリアンタウンはソウルの繁華街である明洞になりつつあります。

韓流アイドルたちも良くコリアンタウンを訪れますよ。

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